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第14回東松山夢灯路

Hello!
What is Yumetouro?
“男沼・⼥沼”といわれる名前の由来は、群雄割拠の戦国時代に絡む哀話に基づいているといわれています。
永禄12 年(1569 年)、そのころ松⼭城は⼩⽥原北条家に仕えておりました。⼩⽥原城主・北条⽒政は武⽥信玄軍に備えるため、松⼭城主・上⽥朝直に対して援軍を要請します。
与四郎は、新婚間もない新妻と病身の⺟親と住んでいましたが、城主の命に従ってやむなく上⽥朝直軍の兵と共に⼩⽥原を目指しました。
上⽥朝直軍は、⼩⽥原に着くや北条軍の先鋒部隊として、相州・三増峠で武⽥軍と激突しました。 史上最強と言われた武⽥軍との壮烈な戦で与四郎も⼿傷を負ってしまいました。
心根が優しく気弱な与四郎は、あまりにも激しい戦さの恐怖から分別もなくなり、自陣から離脱して一人ふるさと松⼭に逃げ戻ってきました。しかし、懐かしい我が家に辿り着いてみても、与四郎の妻も病身の⺟の姿も⾒当たりません。ふと仏壇を覗くと、真新しい⼩さな白木の位牌が2つ祀られていました。
⼩⽥原での戦況が松⼭にも伝わり、三増峠の戦いで与四郎も非業の最期を遂げたとの与四郎の訃報を聞いた病身の⺟は悲しみのあまり息絶え、妻も⺟を追って下沼に身を投げてしまいました。叔父からこのような思いもよらぬ話を聞いた与四郎は、失望の淵に⽴たされ、思い余ってふたつの位牌を胸に抱いて上沼に身を投げてしまったと伝えられています。このような哀話により、上沼を男沼、下沼を⼥沼と呼ぶようになりました。
この伝説をもとに、現代では男沼と女沼を結ぶ夢⼩路を恋人同士で歩くと願いが叶うと言われています。
NPO法人ひき21東松山
東松山夢灯路実行委員会
東松山夢灯路®2017
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